子どもとのバウンダリーを意識するようになって、もう一つ考えるようになったことがあります。
子どもには、子どもの人生がある。
だったら、
私にも、私の人生がある。
当たり前のことなのですが、子育てを長くしていると、この二つを別々に考えることが案外難しかったように思います。
子どもが小さい頃は、生活の中心に子どもがいました。
今日何を食べるか。
学校はどうするか。
習い事。
友達。
体調。
勉強。
進路。
子どもの年齢によって内容は変わっても、頭の中にはいつも子どものことがあります。
でも、10代になると少しずつ変わってきます。
自分で決めることが増える。
親には話さないことも増える。
友達との世界が大きくなる。
そして、いつか家を出ていく。
その日は、まだ少し先かもしれない。
でも確実に近づいています。
最近の私は、そのことを以前より現実的に感じるようになりました。
そして、こんなことを考えます。
子どもが自分の人生へ歩いていくなら、私はこれから、どんな人生を歩いていくんだろう。
子どもの自立は、親にとっても一つの変化
子どもが自立する。
それは、ずっと目指してきたことでもあります。
自分で考える。
自分で選ぶ。
自分で生活する。
困ったときには助けを求めながら、自分の人生を作っていく。
親としては、そうなってほしい。
でも、実際にそこへ近づいていくと、嬉しいだけではありません。
少し寂しい。
まだ必要とされたいような気持ちもある。
もう私が知らない世界を持っているんだな、と感じることもある。
子どもの自立は、子どもだけに起きる変化ではないんですよね。
親である自分の生活も変わっていきます。
だから私は、
「子どもが巣立ったら、そのとき自分のことを考えよう」
ではなく、
今から少しずつ、自分の人生にも目を戻していきたい
と思うようになりました。
「母」が小さくなるのではなく、「私」が戻ってくる
子どもが成長して親の手を離れていくことを考えると、
「母としての役割がなくなる」
という言い方をすることがあります。
でも私は最近、少し違う見方をしています。
母でなくなるわけではありません。
子どもが大人になっても、私は母です。
ただ、母として関わる形が変わっていく。
だったら、その空いた場所に何が入るんだろう。
私はそこに、
「私」が戻ってきてもいい
と思っています。
母になる前の自分に戻る、という意味ではありません。
20代の私に戻るわけでもない。
今までの時間を全部持ったまま、
今の自分として、これからを考える。
私は何が好きなんだろう。
どんなことをしていると楽しいんだろう。
どんな仕事をしたいんだろう。
誰と時間を過ごしたいんだろう。
どんな場所で暮らしたいんだろう。
これから何をやってみたいんだろう。
子どものことならたくさん考えてきたのに、自分のことになると答えが出ないものもあります。
それでもいいと思っています。
しばらく使っていなかった問いなら、すぐ答えられなくても不思議ではありません。
子どもの人生を手放すことと、自分の人生を取り戻すこと
バウンダリーを意識するようになって、
「これは子どもの人生」
と思える場面が少しずつ増えました。
進路。
友達。
好きなもの。
失敗。
選択。
もちろん、親として関わることはあります。
でも、全部を私の問題にしない。
すると不思議なことに、今まで子どもの方へ向いていた意識の一部が、自分へ戻ってきます。
じゃあ、私は?
子どもが何をしたいかではなく、
私は何をしたい?
子どもにどんな未来を歩いてほしいかではなく、
私はどんな未来を歩きたい?
これは、子どもから離れるためではありません。
むしろ、お互いがそれぞれの人生を生きるための準備なのだと思っています。
子どもの人生を子どもに返していく。
そして同時に、
自分の人生も自分のところへ戻していく。
私にとってバウンダリーは、そんな意味も持つようになりました。
子どもが巣立ったあとに、空っぽにならないためではなく
「子どもが巣立ったあとに空の巣にならないように、自分の趣味を持った方がいい」
そんな話を聞くことがあります。
それも一つの考え方だと思います。
でも、私が今考えていることは、少し違います。
将来寂しくならないための対策として、自分の人生を作りたいわけではありません。
私の人生は、今も続いているからです。
子育て中だから、私の人生が止まっているわけではない。
子どもが巣立った瞬間から第二の人生が始まるわけでもない。
母である今日も、私の人生です。
だから、
「いつか」のためではなく、
今から自分が主語の選択を少しずつ増やしていきたい。
今日は何をしたい?
私は何を食べたい?
誰に会いたい?
何を学びたい?
どんな仕事をしてみたい?
何をやめたい?
何を大切にしたい?
大きな決断でなくても、
日常の中に「私は」を戻していく。
その積み重ねが、これからの自分につながっていくように思います。
親としての自分と、私自身を両方持っていたい
自分の人生を大切にすると、子どもへの愛情が減るわけではありません。
私はむしろ逆なのではないかと思うことがあります。
子どもの人生を自分の人生の中心に置きすぎないことで、
子どもの選択を以前より少し落ち着いて見られる。
自分の不安と、子どもの問題を分けて考えられる。
そして、
「この子にはこの子の人生がある」
と思える。
同時に、
「私にも私の人生がある」
と思える。
どちらかを選ばなくてもいいんですよね。
親として子どもを大切にする私。
自分の仕事や興味を大切にする私。
一人の時間を楽しむ私。
何か新しいことに挑戦する私。
これから先を考えている私。
全部が同じ一人の私です。
私が自分の人生を生きる姿を、子どもに見せる
ここには、もう一つ感じていることがあります。
子どもに、
「自分の人生を生きてほしい」
と思うなら、
私自身も、自分の人生を生きていたい。
自分の好きなものを知る。
やってみたいことに挑戦する。
失敗する。
考え直す。
また選ぶ。
年齢を理由に全部を諦めない。
子どもに何かを教えるためにやるわけではありません。
でも、
親も一人の人間として自分の人生を生きている。
そんな姿が家の中にあることは、悪くないと思っています。
「あなたはあなたの人生を生きていい」
と子どもに思うのと同じように、
私自身にも、
「私は私の人生を生きていい」
と思えるようになりたい。
巣立つ日までを、待つ時間にはしたくない
子どもが家を出る日。
その日が来たら、きっと私は寂しいと思います。
嬉しいとも思うでしょう。
ここまで大きくなったんだな、と感じると思います。
もしかしたら泣くかもしれません。
でも、その日までを、
「子育てが終わるのを待つ時間」
にはしたくありません。
子どもには、これから自分の人生へ向かっていく時間がある。
そして私にも、今から自分の人生へ戻っていく時間がある。
同じ家にいながら、
少しずつそれぞれの人生を歩き始めている。
そう考えると、
今一緒に過ごしている時間も、少し違って見えてきます。
必要以上に握らない。
でも、離れすぎない。
口を出したくなる自分にも気づく。
任せるところは少しずつ任せてみる。
そして、自分にも目を向ける。
私は今、何を感じている?
私はこれから何をしたい?
私は、どんな人生を生きたい?
子どもが自立していく準備と、
私が自分の人生をもう一度、自分を主語にして生きていく準備。
この二つは、別々のことではないのかもしれません。
そんなことを感じる今日この頃です。
Kaori
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