いちばん長く一緒に生きてきた自分に、いちばん厳しい言葉を使っていませんか

私は、できるなら一日ハッピーに過ごしたいと思っています。

自分だけではなくて、一緒にいる人ともできるだけうまくやっていきたい。家の中も、みんなが気持ちよく過ごせたらいい。

家事もできれば効率よくこなしたいし、家もきれいにしておきたい。子どもたちには、できるだけ健康的なものを食べてほしい。

たぶん、どれも特別なことではありません。

でも、それが思ったようにできなかった日に、私は結構簡単に自分を責めます。

「私って、だらしないな」

たとえば、食生活が少し乱れているとき。

子どもたちはまだ成長期だし、栄養のあるものを食べさせたいと思っています。

でも仕事があったり、時間がなかったり、自分に余裕がなかったりして、食事の内容より効率を優先してしまう日もあります。

そういうとき、「最近、栄養のことまで考えて作れていないな」だけでは終わらないことがあります。

「母親としてこれでいいのかな」と考えてしまう。

もう一つ、私が自分を責めやすいのが朝の時間です。

子どもが寝坊する。出発する時間が遅くなる。学校への送迎も遅れる。

もう子どもは大きいので、本人の時間管理の問題でもあります。頭ではそれも分かっています。

それでも、「私がもう少し時間を見ていれば」「もう少し早く声をかけていれば」と、自分の方に持ってきてしまう。

そして最後には、「私って、こういうところがだらしないんだよな」となる。

家事もそうです。

家はできればきれいにしておきたい。

でも、仕事をしたり、自分のやりたいことをしていたら、家事を後回しにしてしまう日もあります。

洗濯物が残っている。片づけたいところもそのまま。

そんな部屋を見て、「今日はここまでできなかったな」で終わればいいのに、「私って本当にだらしない」というところまで行ってしまうことがあります。



一つの出来事から、自分自身の評価になっていた

最近、この自分責めについて考えていて気づいたことがあります。

今日の夕食が簡単だった。朝の時間がうまく回らなかった。家事が残っている。

一つひとつを見れば、その日に起きた出来事なんですよね。

でも私は、そこからいつの間にか、「私はだらしない」「母親としてこれでいいのかな」という、自分自身の評価に変えてしまうことがあります。

一日ハッピーに過ごしたいと思っていたのに、余裕がなくてイライラした。

誰かとうまくやっていきたいと思っていたのに、思ったようにできなかった。

そんな日にも、「今日は余裕がなかったな」で終わらず、自分の中で減点していく。

一つできなかったことが、その日の出来事ではなくて、自分そのものの評価になっていく。

私はこういう形で、自分を責めていたんだと思います。



大切な人には、同じ言葉を使わない

もし友達が、「今日は仕事で疲れて、夕食は簡単なものにしたんだ」と言ったら。

私はその人に、「だらしないね」とは言わないと思います。

「そういう日もあるよね」と思う。

子どもの送迎に一度遅れた友達に、「母親としてダメだね」とも思いません。

仕事をして、家のこともして、今日は片づけまで手が回らなかったという人に、「もっと家事を効率よくやらないと」とも言わないと思います。

相手の状況を考えるからです。

今日は疲れていたのかもしれない。仕事が忙しかったのかもしれない。他に優先することがあったのかもしれない。

そういう背景を自然に考えられる。

でも、自分のことになると、その背景を飛ばして、「またできなかった」「私ってだらしない」と、結構簡単に言ってしまう。

これって不思議だなと思います。



自分に厳しくすれば、次はできると思っていたのかもしれない

なぜ自分にそんな言葉を使っていたんだろう、と考えることがあります。

自分に甘くしたら、もっとだらしなくなると思っていたのかもしれません。

自分に厳しくしておけば、次はできる。もっと自分を律した方がいい。

そんな感覚がどこかにあったのだと思います。

でも実際には、自分を責めたからといって、家事が終わるわけではありません。

夕食の栄養が変わるわけでもない。朝の時間が戻ってくるわけでもない。

ただ、「今日できなかったこと」に、「私はだらしない人」という評価が一つ追加される。

そして、なんとなく気分が重くなる。

私はそれを何度も繰り返してきたんだと思います。



母親だから、どこまで自分の責任にするのか

子どものことになると、私は特に自分を責めやすかったように思います。

食事。学校。時間。生活のリズム。

子どもが小さい頃は、親がやることがたくさんあります。

だからその感覚のまま、子どもが大きくなってからも、「私がもう少しやっていれば」と思ってしまうことがある。

でも今は、子どもたちも自分で考えたり、自分で時間を管理したりする年齢になっています。

もちろん、親として関わることはあります。

でも、子どもの寝坊まで全部私の責任なのか。

学校へ行く時間を本人が意識することも、その子自身が少しずつ担っていくことなのではないか。

最近は、そんなふうにも考えるようになりました。

これは以前書いたバウンダリーの話にもつながっています。

子どもには子どもの人生がある。私には私の人生がある。

頭では分かっていても、日常の小さなところでは、まだつい全部を自分の責任にしてしまうことがあります。

だから私も、今その関わり方を調整している途中です。



自分を責め始めたことに気づく

最近は、自分を責めていることに気づいたとき、「本当にそこまでの話?」と一度考えるようにしています。

今日、夕食が簡単だった。それだけ。

家事が残った。それだけ。

朝の時間がうまく回らなかった。それだけ。

そこから、「だから私はだらしない」にまで話を広げなくてもいい。

もちろん、本当に変えたいことがあるなら、変えればいいと思います。

食生活が気になるなら、できる範囲で見直す。

朝の時間がいつも慌ただしいなら、何かやり方を変えてみる。

家事が溜まって困っているなら、少し工夫してみる。

でも、改善したいことがあることと、自分を責めることは別なんですよね。

ここを私は長い間、一緒にしていました。



いちばん長く一緒にいる自分に、どんな言葉を使っているだろう

私は、自分責めをしない人になったわけではありません。

今でも、「ああ、またやってる」と思うことがあります。

でも以前より、「今、私、自分に結構厳しいこと言ってるな」と気づくことが増えました。

そして、もし同じことを大切な人が話していたら、私は何と言うだろう、と考えることがあります。

何でも自分を褒めたいわけではありません。

できなかったことを全部「大丈夫」にしたいわけでもない。

ただ、一つの出来事から、自分そのものを悪く評価するところまで行かなくてもいい。

今日できなかったことは、今日できなかったこと。

変えたいなら、また考えればいい。

私は今、自分責めを完全になくそうとするより、自分が自分を責め始めたことに気づけるようになることの方が、現実的だと思っています。

考えてみれば、自分はこれまでずっと一緒に生きてきた相手です。

これからも一緒に生きていく。

その自分に、私は普段どんな言葉を使っているんだろう。

最近は、ときどきそこを見るようにしています。

Kaori



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Kaori

海外で暮らして20年以上。

シドニー在住。

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