海外で暮らしていると、ときどき聞く言葉があります。
「せっかく海外にいるのに、日本人とばかり一緒にいたらもったいない」
「現地の人と付き合わないと、海外にいる意味がない」
確かに、違う国で育った人と友達になることで知る世界はたくさんあります。
私自身、海外で暮らしてきた中で、いろいろな国の人と出会ってきました。
家族との関係。
子どもの育て方。
仕事に対する考え方。
お金。
休むこと。
年齢。
幸せについて。
自分にとっては当たり前だったことが、相手にとってはまったく当たり前ではない。逆もあります。
「そんな考え方もあるんだ」
と知るたびに、自分の中にあった「普通」の範囲が少しずつ広がっていきました。
だから、海外で違う文化の人と出会うことには、大きな意味があると私は思っています。
でも、だからといって、
日本人と一緒にいることを、海外生活を生かせていないように考える必要はあるのかな。
私はそこには少し違和感があります。
母語で話せるという安心感
海外生活が長くなると、現地の言葉でできることは増えていきます。
仕事をする。
買い物をする。
学校と話す。
友達と話す。
冗談を言う。
日常生活は普通にできる。
でも、生活できることと、自分の中にあるものを全部同じように表現できることは、私にとっては別でした。
日本語だったら一言で伝わることを、別の言語では説明しなければならない。
説明しても、
「ちょっと違うんだけどな」
と思うこともある。
言葉そのものだけではありません。
笑うところ。
言葉の裏側。
その場の空気。
子どもの頃から知っているもの。
「あれ、分かる」だけで話が進む感覚。
日本語で話していると、そこを一つひとつ説明しなくていい。
それだけで、ふっと力が抜けることがあります。
海外に出た頃の私は、母語で話せることに、こんな安心感があるとは考えたこともなかったと思います。
当たり前すぎて、気づかなかった。
海外に出て、別の言語の中で長く暮らしたからこそ、
日本語でそのまま話せることも、私にとって大切な居場所の一つだったんだ
と分かるようになりました。
違う文化の友達が見せてくれたもの
一方で、違う文化で育った友達との出会いも、私の考え方をかなり広げてくれました。
「そうしなければいけない」と思っていたことが、実はそうではなかったり。
私が気にしていたことを、相手はまったく気にしていなかったり。
反対に、自分では考えたこともなかったことを、相手がとても大切にしていたり。
どちらが正しいという話ではありません。
ただ、
自分が知っている世界は、世界の全部ではなかった。
それを実際の人間関係の中で何度も知りました。
本で異文化について読むのとは少し違います。
一緒に食事をする。
子どもの話をする。
悩みを聞く。
笑う。
ときには意見が合わない。
そういう普通の付き合いの中で、
「あ、この人はこう考えるんだ」
と知る。
それを繰り返していると、
「日本ではこうだから」
「この国ではこうだから」
だけでは、人を見なくなっていきました。
文化による違いは確かにある。
でも、その中にも一人ひとり違う人がいる。
そして私自身も、「日本人」という一言だけでは説明できない。
海外で暮らしてきた経験も、出会った人たちも、もう自分の一部になっています。
外を知ったことで、自分のことが見えてきた
これは少し面白いことだと思っています。
海外へ出たことで、海外のことを知った。
でも同時に、
日本のことや、日本で育った自分のことも以前より見えるようになりました。
日本にいた頃には、比較するものがありませんでした。
自分が普通だと思っているものは、ただ「普通」だった。
でも違う文化の中に入ると、
「私はこれは好きなんだ」
「これは日本の方が心地いい」
「これは海外の考え方の方が好き」
「これはどちらでもない。私はこうしたい」
というものが少しずつ出てきます。
以前は、
日本か海外か。
日本的な考え方か、海外的な考え方か。
どちらかを選ぶような感覚があったかもしれません。
でも、長く暮らしていると、そんなにきれいには分けられなくなります。
いろいろなところから影響を受けている。
そして、その中から自分に合うものを選んでいる。
そこに気づいたとき、
「私はどこに属しているんだろう」
という問いも、少し違って見えるようになりました。
視野が広がることより、その先にあったもの
海外生活について、
「視野が広がる」
という言い方をすることがあります。
確かにそういう部分はあると思います。
でも、私にとって大きかったのは、単純に知っている国や文化が増えたことだけではありません。
一つの出来事を、
「こういう見方もある」
「でも別の見方もある」
と、少し離れたところから見られることが増えたことです。
日本の文化も。
海外の文化も。
そして、自分自身のことも。
以前より少し俯瞰して見られる。
その感覚が増えてきました。
すると最後に残る問いは、
「どちらが正しい?」
ではなくなってきます。
私は、どれが心地いい?
になる。
私は、どんな人たちといると力が抜ける?
どんな会話が好き?
どんな距離感が好き?
どんな働き方が好き?
どんな家族との関係が心地いい?
どんな場所で暮らしたい?
何を大切にしたい?
外側にたくさんの選択肢があることを知ったあとで、自分のところに戻ってくる。
私はそこが、海外で暮らしてきたことの大きな意味の一つだったように思います。
自分にとって心地いいものが分かると、少しホッとする
若い頃は、
「もっと世界を広げたい」
という気持ちが強かった時期もありました。
知らないものを知りたい。
違う場所へ行ってみたい。
いろいろな人と会ってみたい。
それも私です。
でも、世界が少し広がったあとに、今度は、
その広い世界の中で、私は何を選びたいんだろう
という問いが出てきました。
日本人の友達と話す時間が心地いいなら、それでいい。
違う文化の友達と話すことが楽しいなら、それもいい。
両方必要なら、両方あっていい。
一人でいる時間が必要なら、それも自分にとって大切な時間です。
どこかのグループに完全に合わせなくてもいい。
「海外にいる人ならこうあるべき」
という誰かの基準に合わせなくてもいい。
いろいろ経験したあとで、
ああ、私はこれが好きなんだ。
私は、こういう環境だと安心するんだ。
と分かる。
その感覚には、少しホッとするものがあります。
何か特別な答えを見つけたというより、
ずっと外側を見ながら探していたものが、ようやく自分の感覚とつながったような感じです。
そして私は今、それを知っていることは、とても大切だと思っています。
「どこに属するか」より、「何を選ぶか」
海外で暮らしていると、
「私はどこに属しているんだろう」
と思うことがあります。
日本に帰れば、以前の自分とは少し違う。
海外にいれば、完全にその国の人になるわけでもない。
その間にいるような感覚。
以前なら、それを中途半端だと感じたかもしれません。
でも今は、
どこか一つに100%属さなくてもいいのかもしれないと思っています。
日本で育ったものもある。
海外で受け取ったものもある。
いろいろな国の友達から教えてもらったものもある。
家族との生活の中で変わったものもある。
その全部を持った今の自分が、
これから何を選んでいくか。
そちらの方が、私には大切になってきました。
だから、
「海外にいるなら、日本人とばかり付き合わない方がいい」
という話だけでは、少し足りないと思うんです。
違う文化に入ってみる。
いろいろな人と出会う。
自分の当たり前が揺さぶられる。
そして、そのあとで自分に戻ってくる。
そこで初めて、
私は何を心地いいと感じる人なんだろう。
ということが少しずつ分かってくる。
世界を広げることと、自分を知ること。
一見すると反対方向に見えるけれど、私にとってはつながっていました。
今いる場所で、今いる人たちとの間で、
私はどんなときに、ふっと力が抜けるんだろう。
その感覚は、案外、自分が大切にしたいものを教えてくれているのかもしれません。
Kaori
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KAORI GLOBAL
海外で暮らし、人生の転機にいる女性へ。
家族や環境に合わせて歩んできた日々の中で、自分の心にも、そっと耳を澄ませる時間を。
Recover ─ 心を整える
Discover ─ 自分を知り、視点をひらく
Grow ─ 自分らしい選択を重ねる
葉から枝へ、木から森へと視野が広がるように。離れていた星が星座になるように。日々の出来事や人との関わりを振り返ると、経験のつながりが見えてくることがあります。
このブログでは、海外生活や人生の転機から生まれた気づきと問いを綴ります。苦しさや迷いを否定せず、答えを急がずに。あなた自身の意味を、あなたのペースで見つけていく小さなきっかけになれたら嬉しいです。
Created with ©KaoriGlobal